職人を訪ねて

及精鋳造所 岩手/南部鉄器

Cohanaにまつわるモノ・コト・バそして人から、日本のものづくりに思いを馳せる【Story】。第一回は『南部鉄器の文ちん』の産地・岩手の及精鋳造所です。

 


 
1975年、国の伝統的工芸品として第一号の指定を受けた南部鉄器。Cohanaの企画がスタートした初期の段階から、南部鉄器で文ちんが作りたい!という憧れが、強くありました。

 
私たちの思いに応えて、快く引き受けてくださったのが及精鋳造所の会長・及川敬さんでした。スタッキングができるように…ペン立てになるよう、穴径を調整して…味のある色で…と、さまざまなこだわりを伝える私たちに、大らかに対応してくださったのがとても印象的。

 

どんな人の手から、Cohanaの文ちんが生み出されているのか…。わくわくとした期待を乗せながら、飛行機は岩手花巻空港に到着します。

 

 

及精鋳造所がある水沢区羽田町は鋳物関連会社が軒を並べている「鋳物の町」。豊富な資源と北上川の水運の便に恵まれたこの地では、古くから鋳物づくりが盛んにおこなわれてきました。

 

豊かな緑の中を車で走り、「及精鋳造所」の文字を見つけました。

 

 

会長の及川敬さんが出迎えてくださいました。

及川敬さんは、大正5年に操業を開始した及精鋳造所の6代目。現在は代表取締役を息子の敬一さんに引き継ぎながら、会長として後進の育成・新商品企画に取り組まれています。

 

ショールームでお話を伺いました。

 

▲ショールームにはこれまで作られた南部鉄器の商品の数々が。伝統的な鉄瓶、風鈴、調理器具から雰囲気たっぷりのストーブまで。

 

南部鉄器の歴史を教えてください。

もともと水沢の鋳物業は平安時代後期に、藤原氏が近江國から鋳物職人を招き、技術を磨かせたのがはじまりです。

 

お寺の鐘、仏像といった特別な用途のものから生産がはじまり、徐々にお風呂や鍋、鉄瓶などの生活用品も手掛けるようになりました。昔は今よりも物づくりに手間がかかり、物が人々に大切に使われていました。鉄は再生できるので、壊れたら溶かして再生し、また新たなものを生み出すことができる、素晴らしい素材として重宝されていました。

 

ところが、そんな南部鉄器にも不遇の時代がありました。

 

―不遇の時代?

昭和13年、2代目の及川精四朗の時代。南部鉄器は軍事需要が大きくなり、鉄瓶や鍋といった生活用品は製造中止に追い込まれたと聞いています。再生ができる素材ですから、お寺の鐘ですら回収され、溶かされ、鉄砲や飛行機部品へと変わっていきました。

 

―平和を祈る鐘が戦争に使われる…悲しいお話ですね。

そうですね。そのとき唯一残された生活につながる鉄製品が「ミシン部品」でした。洋裁道具という点ではCohanaとも繋がりますね。生活用品は終戦後の昭和22年から生産が復活しますが、職人や先代たちが必至に南部鉄器を守り継いできたようすが、この話から伝われば…と思います。

 

―南部鉄器の文ちんのケア方法はありますか?

もし濡れた場合は、乾いた布でよく拭き取る。鍋類であれば錆び止めのために食用油を塗るのですが、文ちんは毎日触ってあげることで、手の油がついてさびにくくなると思います。

 

―使うことがケアになるって素敵ですね。

Cohanaの南部鉄器の文ちんがお客様に使われ、風合いを増しながら空間に溶け込んでいく…そんな姿を想像しました。そうですね(笑)大切に使っていただければと思います。

 

―最後に、仕事の上で大切にしていることを教えてください。

職人や先代が守り継いできた伝統的な製法を守り南部鉄器独特の風合いを生かしつつ、その時代時代にあった新しいかたちで提案していきたいと思っています。

 

―ありがとうございます。

 

お話のあとに、工場を見せていただくことになりました。工場内へ一歩足を踏み入れると、もわっとした熱気が伝わります。高熱の鉄を扱う現場なので、自然と緊張が高まります。

南部鉄器がつくられる現場を、説明をお聞きしながら回らせていただきました。

 

▲溶湯(ようゆ)と呼ばれる溶けた鉄を、取鍋(とりべ)と呼ばれる容器に移す作業。迫力のワンシーン。

 

▲取鍋から鋳型へ流し込む作業。
ベルトコンベアに型が載せられ、ゆっくりと移動してきます。1500℃に達する溶湯は温度が下がると急速に固まるため、職人のスピードと正確性が要求されます。

 

▲砂をつかって鋳込みの型をつくる「砂型」の制作工程。
型を砂にぎゅっと押し込み、さらに上から砂を降りかけ、ハンマーで叩いて均等にします。砂型の出来によって、製品の肌合いが変わるため、気を抜けない作業です。

 

▲金型を置く場所や工具類を見せていただきましたが、工場の中はきれいに整頓され、効率よく動ける職場づくりを徹底されていました。

 

最後に及川さんの手を見せていただきました。


 
「働く人の手」から感じ取られる、これまでの日々の積み重ね。及精鋳造所には若手の職人さんもおられ、手から手へ、技術の継承が行われるのだと思うと、感動を覚えます。
 

 
これからもこのすばらしい伝統がつづいていくように。南部鉄器の文ちんを通じ、みなさまに南部鉄器の良さや、職人さんのお話、物づくりの素晴らしさをお伝えできれば…と思う私たちでした。

 

株式会社 及精鋳造所

盛岡と共に南部鉄器の故郷と言われている、奥州市水沢区羽田町は、鋳物関連会社が軒を並べている「鋳物の街」です。その地で、大正5年より操業を開始。長い年月をかけて培われた優れた鋳物の伝統技術を先進技術にも生かしながら、高精度な製品をつくり続けています。
http://www.oisei.co.jp/

STORY LIST

  • 職人を訪ねて 2017年05月28日(日)
    及精鋳造所 岩手/南部鉄器